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女性が書いた仏教書は読む気がしない

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/27(火) 20:01:01
本来、仏教とはただの知識ではなく、”いのち”が伝わるための智恵が形となって現れたところの男性の所産であると思います。
男性は女性のように子どもを産めず、乳〜幼児期における役割も薄いため、”いのち”の秩序伝達のための役割と智恵の模索として仏教が形成されていったのだと思います。
女性には”いのち”の伝達のための智恵として女性の役割があり、乳幼児期における自己同一を与えるとか、社会に出る前に家庭内においてルールを伝えるため父親を立てるとか、のちのちその人間の人格に関わってくる重要な役どころと
修行が与えられているのではないのでしょうか。
本来女性であるなら、仏教に関する勉強は女性としての生き方のヒントを得るくらいまでで、”いのち”の永続のためには本格的には妻のあり方と母のあり方の智恵を追究しなければならないはず。
そしてそれを次世代の女性たちに範として垂れなければならないはずです。
それなのに、この度の人生で与えられたご縁と修行である母性修練をそっちのけで、仏教を大学院に行ってまで専修している女性がいます。本まで出している女性がいます。
深まる少年少女たちの心の闇、非行、凶悪化、家庭崩壊・・・。それをそっちのけであんたらは何をやっているのかと問いたい。
女性ならそういう子どもたちを救うべく、己の本分と役割である女性らしさ、母性、母親らしさといった役割と社会性(つまり智恵)に早く目覚めを修練するのが先ではないのでしょうか?それで子どもたちに相対するのが本当なのではないのですか?
権利、権利と天から与えられた大切な本分とご縁に向かって何を言っているのでしょうか。
申し訳ないですが、私は女性が書いた仏教書は読む気がしません。
それは”いのち”に関する智恵を欠いた、当面の自己保身に根ざす単なる知識の書であるからです。当人たちも仏教をそう扱っているでしょう。
女性の名前が著者欄に並んでいると、そこに本人の”いのち”を断ち切る智恵と意図が見えてしまいます。
女性の社会進出が進むにつれ、実際に子どもたちや社会風潮があらゆる意味で”いのち”を断ち切る方向で動いてしまっていることに早く気づいて下さい。
またこれは、女性に筆を振るうことを認めた先人たちの浮ついた商業的意図、卑しさの故でもあると思います。そんなことで”いのち”をめぐる秩序の永続性が守れるでしょうか。



46 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/04/07(土) 23:35:23
>>1
比丘尼が書いた注釈書は無視?

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